”遠い夏に想いを”- Click here もごいち読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出や、その後思い出の国を旅したブログ手記です。

ウェスト・バンク - 0162010/04/04 14:14

 ビジネス・スクールの建物がウェスト・バンクにあるので、そこへ行きなさいと言われて、親子3人がジョンストン・ホールを出た。朝晩は涼しいのだが、昼間は結構気温が上昇する。

「あの時は、暑かったわね、9月の下旬だというのにね」
「とにかく、歩きゃないけないので、チャオが元気だったから助かったよ」
「ビジネス・タワーではここはいいから、フォ-レン・スチューデント・アドヴァイザーのところに行ってくれって言われたよね。イースト・バンクの一番東側で、西の端から東の端まで歩いたものね」
「アドヴァイザリー事務所に行った、担当の教授から『住むところはあるのか』と訊かれて、『決まって無ければ、この裏手の民家にスチューデント・ハウスという留学生の部屋探しを手伝ってくれるグループがいるから、行って見るのもいいですよ』って勧められて行ってみたっけ」
私は遠い昔を思い起こしながら空を見上げた。

これ等の建物を結ぶセンターとして地下カフェテリアがあった。冬は戸外に出なくとも、ビルとビルの間を移動できた。昔と変わったところといえば、演劇学部の施設が増えたくらいだ。

ミネソタ大学 - 0152010/03/02 11:41

 次の日はミネソタ大学に行った。小雨が降ってきた。ウエストバンクの西側に新しくパーキング・ロットができていた。車を駐車して、ウエストバンクを廻ってみる。ウエストバンクはミシシッピの西岸にあり、ビジネス、社会学部、ブレーゲン・ホールやアンダーソン・ホールなどの共通教室、更に、ウイルソン・ライブラリーがあった。みな懐かしい場所ばかりだ。

 70年の秋にミネアポリスのホリデイ・イン からタクシーでこのキャンパスに初めてやってきた。当時、北海道大学が日本で最大の単一のキャンパスを有していたと思うが、ここのキャンパスにはミネアポリスとセントポールにキャンパスがあり、ミネアポリスだけでもかなり広い。ミネアポリスのキャンパスはイースト・バンクとウェスト・バンクにミシシッピをはさんで分かれている。

 科目の選択はジョンストン・ホールでおこなうのだが、学年が始まる1週間まえに来たので、必須科目が既に満員で、ひとつも取れなかった記憶がある。

ハンスとクリスティーヌ - 0142010/02/07 09:50

 夜はハンスとクリスチャンがレストランに招待してくれた。「ジャックス・カフェ」という店だった。庭に出ると大きな池があり、鱒が泳いでいる。鱒料理なら、先ず、この泳いでいるますを網で取らなきゃならない。
 この夜は、天候が悪く、物凄い雷雨が襲ってきて庭に出られないので、ノッコはロブスター、私は蛙の足の料理をとった。
 彼らはセンドといい、当時、3Mの所属事業部の外国部のマネジャー
をしていた。彼は3Mドイツから来ていた。日本に出張で来ると、日本食しか食べない変わり者だった。

テスター先生 - 0132010/01/06 17:40

 午後はテスター先生と約束があり、ミネアポリスの南にある先生の自宅を訪ねた。テスター先生はチャオが通っていたブリムホール小学校の担任の先生で色々お世話になった。72年に帰国する時にも訪問しているので、道はわかっているつもりだ。今は再婚されて、マルティノーという名前になっている。男の子が2人いたが、成人して家を出てしまい、昔の家に住んでいるのは夫婦2人だけ。マルティノーさんは水道修理工で、丸々と太っていて大食漢だ。だから、とてもチャーミングな男性だ。
 まだ、ブリムホール小学校で教えていると言う。滞在している間に、一度、学校の方にもと誘われたので、チャオが通っていた想い出の場所に行ってみることにした。お茶とクッキーで談笑し久しぶりの再開を楽しんだ。

スカイウエイ(続き) - 0122009/12/08 16:56

 スカイウエイを通って来たので、デパートのデイトンへは2階の狭い通用口から入った。店内は、昔より、温かみのある照明に変えられ、古風なデザインの店になっていた。我々はこうゆうクラシックなデパートが好きだ。72年当時でも、効率一点張りのショッピング・センターへ行くよりも、ダウンタウンのデパートの方が好きで、時々、訪れていた。

 1階の正面玄関よりモルに出て、9丁目くらいまで散策した。角にヤンク・クインランという高級洋装の専門店があった。当時、店のウインドーに婦人靴が展示され、48㌦(1㌦・360円)の値札がついていて驚いた経験がある。この角を東へ曲がって駐車場へ戻る。

スカイウエイ(続き) - 0112009/11/23 11:22

 市内の全てのビルがつながっている訳ではないが、市街の中心部にある主要ビルは迷路のように回廊でつながっている。特に、冬は有り難い。市営の駐車場などに車を止めて、スカイウエイを通り、目的の場所まで行って用を済ましたら、今度は別のスカイウエーを抜けて目的のレストランへ行き昼食をとる。帰りは、来た通路を通るか、別のスカイウエーを通って、ウインドーショッピングをしながら駐車場まで戻る。事務所やクリニックだけが並ぶ細い通路もあれば、突然、大きなショップが並ぶ広場もある。変化に富んでいるだけでなく、一歩も外に出なくとも用が足せる。全長5.5キロ以上もあり、200店舗以上の銀行やら、商店やら、クリニックに連絡している。(写真はセントポールのスカイウエーからの眺め)

 ツインシティ以外ではカナダのカルガリーなどの寒い街にもあるが、やはりここの街のスカイウエイは歴史があり、全長も長い。スカイウエイは場所によって、道路を行くよりも2倍の距離を歩かなければならないが、これが結構楽しい経験である。だが、このようにしても、市街地に人々を呼び戻すことは難しく、一般大衆は無料駐車場と効率的な店の配置を求めて、郊外のショッピング・センターへ足を運ぶのである。

スカイウエイ - 0102009/11/07 10:08

 IDSタワーの2階には小さなショッピング・センターがあり、一軒のカフェテリアに入った。天井が高く、ガラス張りで明るく広い。椅子もテーブルも一回り大きく、日本のせせこましい感じと違って気持ちがゆったりする。大きなマグカップのコーヒーと軽食で昼食をとり、スカイウエイを歩いて、向かいのデパートに行く。

「昔、住んでいた頃は、スカイウエイなんてなかたわね」
「うん、日本のデパートの本館と別館をつなぐ連絡通路みたいなのは、セントポールとミネアポリスに2ー3ケ所あったらしいよ。気がつかないだけだったけどね。本格的なのは我々が帰国した72年以降、特に80年代にはいって急激に広がったみたい」

 スカイウエイとはビルとビルを2階部分でつなぐ通路のことで、日本でもデパートなどがA館とB館を上層階でつなぐ連絡通路をつくたりする。スカイウエイは雪国ならではのシステムで、人出の少ないアメリカの中都市などでは、地下商店街をつくるより安上がりだ。ただ、地下商店街より効率が悪く、全てのビルどうしが連絡しているわけでない。更に、通路によっては店舗の種類や出店規模がさまざまである。70年代初め頃には殆どなかったシステムだ。セントポールのダウンタウンにも同じシステムがあって、特に、寒い冬には戸外に出ることなく買い物ができるので便利だ。

新しいビル - 0092009/10/24 09:55

 70年当時、ミネアポリスで大きなビルといえば、1929年に建てられた32階だでの古いフォシェー・タワーくらいだった。街の建物は1965年以来殆ど変わっていなかった。街はさびれてゆき、活力を失っていった。我々が帰国した72年に、近代的なビルができた。
「初めて、湖の街に来たときは、ひどく元気の無いところだなあって思ったわ」
「ミネアポリスで2日目の朝、乗ったタクシーの運転手が空を見上げて、『あれがこの街で一番高いフォッシェー・ダワーだよ』って言ってたもね。ビルが新しくて高ければ、いい街とは思わないけれども、とにかく、街に元気が無かった代ね」

 二コレット・モルのIDSタワーとマーキット通りのFRBビルの2つが72年の帰国時に建設中だった。IDSタワーは50階以上あるガラス張りのビルで、FRBの方は10階もないビルだが、各階をスパンで吊った特殊な構造になっている。

 街の様相が一変し始めたのはそれ以降で、その殆どがガラス張りのビルであった。80年代に入ると、街のリニューアルが始まり古い建物がアールデコ調のデザインで改装されて綺麗になり活気づいてきた。

ホリデイ・イン - 0082009/10/16 10:35

 ミネアポリスはかなり変貌をとげているが、二コレット・モルにも変化が起こっていた。小売店のパワーズの簡素だがクリーム色のビルがとり払われ、大きな空き地になっている。そして、その後に何やら工事が始まっていた。

 二コレット・モルは13丁目まであり、70年にミネアポリスに到着して3日間泊まったホリデイ・インが13丁目にあったが、今は別のホテルになっている。
「あのホテルは売却されて、別の名前のホテルになったんだって」

「あの時の最初の夕食覚えてる?」
「ああ、あの時はノッコもチャオも食欲がなくてね」
「安いからって、パスタを頼んだら、茹ですぎでふにゃふにゃで食べられなかったね」
「でも、次の朝の朝食、別のレストランだったけれど、チャオが食べたイチゴのコーンフレークス、すごかったね。イチゴの山盛りでコーンフレークスがボウルの底に隠れてたよね」
「チャオが美味しい美味しいと、夢中で食べていたっけ」

二コレット・モル - 0072009/10/02 12:48

 鉄道の側線のガードをくぐって暫く行くと、もうダウンタウンだ。
 サード・アヴェニューの角のパーキング・ロットに車を駐車し、ニコレット・モルまで歩く。
「ミネアポリスも随分変わったのね」
ニコレット・モルはミネアポリスのメーンストリートで、道の左右に広い歩道があり、車道は往復2車線で少々せまい。その上、4番街から10番街まで車道が直線ではなく、ジグザグ状になっている。通れる車もバスかパトカーかタクシーだけ。いってみれば、1960年代に世界に先駆けてつくった歩行者優先道路である。